大阪地方裁判所 昭和57年(行ウ)73号 判決 1984年8月10日
原告
日本周遊観光バス株式会社
右代表者代表取締役
杉本敬一
右訴訟代理人弁護士
酒井武義
被告
大阪府地方労働委員会
右代表者会長
後岡弘
右訴訟代理人弁護士
井土福男
右指定代理人
中山義英
右同
石野美恵子
被告補助参加人
全自交日本周遊観光バス労働組合
右代表者執行委員長
松本豊治
右訴訟代理人弁護士
芝原明夫
右同
松村信夫
主文
1 本件訴えのうち、原告が被告に対し、被告の原告に対する昭和五七年九月一四日付不当労働行為救済命令主文第1項中、「原告は、補助参加人組合員主島虎之助を昭和五六年九月二六日から同五七年九月二五日までの間、嘱託として取り扱い、その賃金は勤続年数七年の乗務員の基本給の額としなければならない」旨の部分の取消しを求める訴え部分を却下する。
2 被告の原告に対する前項不当労働行為救済命令第1項中、「原告は補助参加人組合員主島虎之助に対し、昭和五六年九月二六日から同五七年九月二五日までの間で、同人が就労するまでの間に、同人が受けるはずであった、基本給を勤続年数七年の乗務員の基本給同額とする、賃金相当額及びこれに年率五分を乗じた額を支払わなければならない」旨の命令部分を取消す。
3 訴訟費用は、参加によって生じた分を被告補助参加人の、その余を被告の各負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告の原告に対する昭和五七年九月一四日付不当労働行為救済命令第1項を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、被告補助参加人(以下「参加人組合」という)を申立人とし、原告を被申立人とする昭和五七年(不)第七一号不当労働行為救済申立事件について、昭和五七年九月一四日付けをもって別紙のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令は同日原告に交付された。
2 しかし、被告は本件命令第1項につき、別紙のとおり事実認定をなし法律判断をなしているが、参加人組合員主島虎之助(以下「主島」という。)を嘱託雇用することについて、原告と日本周遊バス労働組合(以下「バス労組」という。)との間で基本的合意が成立し、主島が参加人組合に加入後定年を迎えても、原告が、主島を嘱託雇用しなかったことは、主島が参加人組合に加入したことを理由として同人を不利益に扱ったものであり、また、参加人組合の弱体化を企図した旨事実認定し、右嘱託雇用しなかったことを不当労働行為と判断している点で、事実誤認及び法律の適用を誤まり、また、救済方法として、別紙命令主文1項の命令をなした点につき、裁量権を濫用した、各違法がある。
3 よって、原告は、請求の趣旨記載のとおり、本件命令第1項の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否と抗弁(本件命令第1項の適法性)
1 請求原因1は認め、同2は、そのうち、被告が本件命令第1項につき主張の事実認定、法律適用、救済命令をなしていることは認め、その余は争い、同3は争う。
2 本件命令第1項の理由は、別紙命令書理由欄(ただし、第二判断2を除く)記載のとおりであり、その事実認定法律判断、裁量権の行使につき何らの違法はない。
三 被告の前項2の主張(抗弁)に対する原告の認否と反論
1 別紙命令書「理由」中「第一 認定した事実」欄について
(一) 同1(1)・(2)記載の各事実のうち、審問終結時の従業員数及び組合員数は争い、その余の事実をすべて認める。
(二) 同2(1)・(2)記載の事実は認める(以下、昭和五五年八月三〇日付の定年制延長についての協定を「本件協定」という。)。
(三) 同2(3)記載の事実は、そのうち、昭和五七年一二月二七日松本豊治(以下、「松本」という)が執行委員長を辞任し、同日、後任の執行委員長が選出されたことは認め、その余は不知。
(四) 同2(5)・(6)記載の事実は、そのうち、参加人組合が結成されたことおよび松本がその執行委員長に選出されたことをいずれも否認し、その余の事実は認める。
(五) 同2(9)記載の事実は認める。
なお、労働組合と呼ばれるためには、共同目的の達成に向けられた複数人の意識的な結合が存在しなければならないところ、昭和五六年六月一三日、参加人組合の組合員は松本ひとりだけになったのであるから、参加人組合は右の時点で組合としての実体を失ない消滅したものである。
(六) 同3(1)ア記載の事実は、そのうち、原告の賃金体系の部分を争い、その余をすべて認める。
(七) 同3(1)イ記載の事実は、そのうち、原告が、嘱託雇用者の賃金について、勤続七年の乗務員の賃金とする提案を了承したという点は否認し、その余の事実は認める。
原告の老人ホーム送迎提案は、これが一日当り走行キロが、せいぜい一〇〇キロ位であり、日曜、終日(ママ)は休日で、夕方には自宅で休養できるものであるため、定年退職後の老令運転手にとって格好の仕事とみたためであり、賃金面では、原告は、右送迎運行代金が低料金でもあることから、新入運転手の初任給を適用し、一時金その他の給付は、嘱託雇用を認めている訴外大阪観光バス会社の例にならい、六割支給をなすことを提示していたものである。
(八) 同3(2)は、ア、イ、エ、オ記載の各事実は、すべて認め、ウの事実は、そのうち、書記長太田孝志(以下「太田」という。)が主島を説得した際の発言内容は不知、通知の日時は否認し、その余は認める。右通知のなされたのは昭和五六年九月二一日である。なお、同日、主島は、太田に対し、「嘱託運転手みたいなもん、ややこしいから結構や、松本の参加人組合に加入して、六〇才定年延長をかちとってもらう」旨のべ、同月二五日午前中には、バス労組長田委員長から、脱退の翻意を求められた際にも、右略同旨回答し、嘱託乗務員として雇用される意思のないことを明言した由である。
2 別紙命令書「理由」中「第二判断」欄について
(一) 仮に、原告がバス労組の賃金提案(勤続年数七年の基本給)を了承していたとしても、以下のとおり、被告判断のように主島を嘱託雇用することについて原告、バス労組間に基本的な合意があったとは到底いえず、この点で被告は、事実の誤認をなしている。すなわち、観光バスの運転手及びガイドにとって、行先配車割当、担当車輛の有無、その車種の良否は、担当者の精神的な誇ないし満足感の充足、観光客からのチップ、若くは観光地土産物店からのリベートの有無、多寡という、賃金外収入の格差の点で、勤続年数の長短で余り格差の生じない基本賃金額にもまして劣らぬ看過できない重要な労働条件であったので、右労働条件についての合意ができていない以上、基本給額についての了承があったとしても、なお嘱託雇用契約は未だ成立するには至っていないというべきである。
(二) ついで、被告は、原告が主島の定年到来の翌日以後嘱託雇用しなかったことを、労組法七条一号に該当するというが法律判断を誤っている。すなわち
同号にいう不利益取扱とは、過去との比較、または他の労働者との比較においての不利益な差別扱いを指すところ、主島については、先例ないし慣行がなく、比較の対象を欠き、到底、右不利益取扱いとはいえない。
四 補助参加人の主張(反論と抗弁の補充)
1(一) 参加人組合は、解散前の全自交日本周遊観光バス労働組合の締結した本件協定を承継したものである。仮にそうでないとしても、右協定は、一の事業場の労働者の四分の三以上を組織する組合によって締結されたものであり一般的拘束力を有するから、主島にもその効力が及ぶと解すべきであって、原告は、嘱託雇用希望者に対しては、誠実に雇用条件等の交渉に応じ、できる限り嘱託雇用をなすべき義務を負っている。
(二) 仮に参加人組合が松本一人のみとなったとしてもそれは原告の支配介入という不当労働行為によって生じたことであるから、なお、労働組合として存続しているというべく、主島の加入により、以後も、組織として活動を継続しているのであるから、尚更組合としての継続性が認められ、一人組合ではない。
(三) 本件において、原告、バス労組間で、主島の嘱託雇用につき、少くとも給与(年功七年ベース)、労働時間(五〇時間保障)という主要な労働条件につき合意が成立し、主島も右条件に積極的な異論もなかったのであり、配車、運行先等の継続交渉条件については、従来の慣行により、原告と参加人組合で決定すれば足りたのであるから、主島を嘱託雇用する合意が実質的に成立していたというべきである。したがって、主島の参加人組合への移動により、原告、バス労組間の主島の嘱託雇用交渉が中断状態となったが、このことにより右実質的な合意成立は何らの影響も受けないのである。そうだとすると、原告が、右主島の移動を契機として右実質的嘱託雇用契約を一方的に破棄したうえ、その後九月二五日夜、参加人組合の上部団体である自交総連大阪地連(以下「大阪地連」という。)の佐伯執行委員を通じ、ついで一〇月三日には、参加人組合から直接に、右嘱託雇用に関する交渉の継続を呼びかけられながら、これに誠実に応対しないのは、主島の組合移動を理由とする差別的扱いに外ならず、不当労働行為に当るというべきである。
2 仮に主島嘱託雇用について原告、バス労組間で完全な合意ができていなかったとしても、原告が前項(三)の佐伯、及び参加人組合からの、両度に亘る主島の嘱託雇用の交渉継続の要求を、あえて、主島が嘱託雇用の意思を撤回したものときめつけて、右交渉継続自体に応ぜず拒絶したことは、主島の参加人組合への移動を嫌い、バス労組のみを重視し、参加人組合の弱体化を計った不当労働行為という外ない。けだし、主島は終始一貫嘱託雇用を希望していたものであり、嘱託雇用自体については、参加人組合に加入する前に合意成立済を信じ、細部の労働条件については、後日、従来の慣行に従い、参加人組合と原告間で協議決定されることと考え、原告平井所長にいわれるままに、参加人組合執行委員長松本と相談の上、ひとまず退職の手続をとったものに過ぎない。したがって、右主島の退職手続関与は右意思撤回を意味せず、原告が、バス労組との間では二ケ月半余にも亘り嘱託雇用交渉を続けてきながら、右退職手続中に主島本人に自ら確めもせずに、右手続経過を奇貨として、言を弄して右意思撤回を決めつけることは、前記の不当労働行為意思のあらわれというべきである。
五 原告の前項補助参加人主張に対する反論
すべて争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中証拠関係目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1項の事実は、成立に争いのない甲一号証により明らかに認められる。
二 そこで、まず、原告が、本訴のうち、本件救済命令中、「原告は、補助参加人組合員主島虎之助を、昭和五六年九月二六日から昭和五七年九月二五日までの間、嘱託として取り扱い、その賃金は勤続七年の乗務員の基本給の額としなければならない。」とする部分の取消を求める訴え部分の適法性についてみるに、本訴口頭弁論終結時である昭和五九年二月六日には、原告が主島を嘱託として取り扱うべきことを命じられた一年間の期間が既に満了し、一年半余も経過済であることは明らかであって、右終結時点においては、本件命令の前記部分を遵守することは不能というべく、したがって、本件命令の前記部分が確定し、存続するとしても、右期間満了時以降において原告にとってなんらの法的拘束力を生ずるものではないので、原告において本件命令の前記部分の取消しを求める法的利益は既に消滅したものといわざるをえず、他に本件全証拠によるも、原告が、本件命令の前記部分の取消しによって回復すべき法律上の利益を有するとみるべき特別の事情を認めるに足りない。
そうすると、本件命令の前記部分の取消しを求める本訴部分は、その必要性がなく訴えの利益を欠き不適法というほかない。
三 本件命令第1項中その余の部分の取消しを求める本訴請求について
1 同命令第1項において、被告が別紙のとおり事実認定、法律適用をなしていることは前掲甲一号証により明らかであり、主島の嘱託雇用契約につき、事実誤認の違法が争われているところ、まず、本件協定締結の前後事情についてみる。
(一) 原告が、大阪市浪速区に本社を、摂津市に営業所(以下「大阪営業所」という。)を置き、一般道路旅客運送事業(貸切観光バス業)を営む会社であること、別紙命令書「理由」中「第一認定した事実」欄2(1)、(5)、(9)記載の各事実、同2(3)記載の事実のうち、昭和五七年一二月二七日、松本が執行委員長を辞任し、同日、後任の執行委員長が選出されたことおよび同2(6)記載の事実(ただし、参加人組合が結成されたことおよび松本がその執行委員長に選出されたことを除く)は、いずれも当事者間に争いがない。
(二) (証拠略)に前(一)記載の当事者間に争いのない事実および弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、(証拠略)のうち、右認定に反する部分は措信できない。
(1) 昭和五五年当時、原告会社内に存在していた全自交日本周遊観光バス労働組合(以下「旧全自交組合」という。)と交通労連日本周遊観光バス労働組合(以下「旧同盟組合」という。)は、それぞれ原告に対し定年の延長を要求していた。(なお、当時の原告会社の定年は満五七歳であった。)
(2) 同年八月三〇日、原告は、旧全自交組合および旧同盟組合(以下この二組合を総称して「両旧組合」という。)との間に、各別に、定年延長について、「定年を満五八歳とする。但し、定年後、健康で更に原告会社に就職希望するものについては、原告会社は、労働条件、賃金体系、その他の事項を話し合い、双方が同意できた場合は、一年間嘱託として雇傭する。前記の件については、組合と円満協議する。」旨の本件協定を締結した。なお、右協約締結当時、旧全自交組合の執行委員長は松本であった。
(3) 同年一二月二七日、松本は、旧全自交組合の執行委員長を辞任し、同日、後任の執行委員長として奥田静雄が選出された。
(4) かねてから、両旧組合の組織統一について、旧全自交組合および旧同盟組合内で討議されていたが、松本は、労使協調路線の旧同盟組合と階級意識に基づき斗う旧全自交組合が統一することは、労働者として階級的犯罪を犯すものと評価して反対して来たところ、昭和五六年二月二五日、両旧組合は、合同の春闘統一総会をもつに至り、同年五月九日、両旧組合は、個別に組合大会を開催し、それぞれの組合の解散決議をなし、同日、右各組合大会終了後、松本、沢口正子、浜崎幸子の三名を除いた両旧組合の組合員全員でバス労組を結成し執行委員長に長田増二を、副委員長に東中満を、書記長に太田孝志を各選出した。
また、同日、松本、沢口正子、浜崎幸子の三名は参加人組合を結成し、執行委員長に右松本を、副委員長に右浜崎を、書記長に右沢口を各選出し、松本は翌一〇日、原告会社の取締役で大阪営業所長平井正之(以下「平井所長」という)に対し、口頭で右組合を結成したことを通告し、同月一五日、原告に対し、組合事務所の設置等数項目にわたる要求を行う等の活動に入った。なお、右解散両旧組合は一旦上部団体である大阪地連との関係を清算し、バス労組は、同年五月中に改めて右大阪地連に加入した。
(5) しかし、同年六月中旬頃、松本を除いた組合員は参加人組合を脱退し、バス労組に加入してしまい、同組合は組合員は松本一人だけとなった。この関連で、松本は、その後、大阪地連日本周遊観光バス分会と名乗って原告と対応した。
2 つぎに主島の嘱託雇用に関する交渉経緯についてみる。
(一) 別紙命令書「理由」中「第一認定した事実」欄3(1)ア記載の事実(ただし、原告の賃金体系の部分をのぞく)、同イ記載の事実(ただし、原告が、嘱託雇用者の賃金について勤続七年の乗務員の賃金とする旨の提案を了承したという点をのぞく)、同(2)ア、イ記載の各事実、同ウ記載の事実(ただし、太田書記長が主島を説得した際の発言内容および原告に対して同記載の通告のあった日をのぞく)、同エ、オ記載の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
(二) (証拠略)に、前1項認定事実及び前(一)記載の当事者間に争いのない事実および弁論の全趣旨を総合すると、まず次の事実が推認できる。すなわち、
(1)(イ) 主島は、昭和五六年九月二五日の誕生日をもって満五八歳に達し、原告会社労使双方は、同人を本件協定によって、同日限り原告会社を定年退職することとなるべき、右協定のはじめての適用該当者である旨認識していた。主島は、かねてから、定年退職後も、嘱託として原告会社において勤務することを希望しており、当時所属していたバス労組の長田委員長らに対して右希望を伝え、原告との間の嘱託雇用契約締結の交渉を委託した。
そこで、バス労組は、主島との意見調整も含め数回にわたる執行委員会を開き、組合内部で嘱託条件を検討する一方、昭和五六年六月二三日、原告・バス労組間の労使協議会において、原告は、平井所長が窓口責任者となり、主島間の嘱託雇用問題に関する交渉を開始し、以後、三回にわたって交渉が重ねられた。
(ロ) 右協議、交渉において、バス労組は、当初、主島の嘱託雇用の労働条件について、賃金、担当車輛、行き先等すべて同人の退職時と同一とすることを要求したが、これに対し、原告は、もともと、主島のような老令者には嘱託雇用するとしてもその労働能力にみあった軽労働職種を適当と考えていたため、乗務員として嘱託雇用するにしても、その職務内容は原告が吹田市から委託を受けている老人ホームへの送迎の専従とし、賃金は、右仕事にみあった勤続年数一年未満の乗務員の賃金を適用する旨強く主張した。そこで、バス労組はやむなく譲歩し賃金について当時、原告会社の乗務員の平均勤続年数が七年であったので勤続年数七年の乗務員の賃金とするよう修正提案したところ、平井所長により原告はこの賃金の点についてはひとまず了承するに至った。そして、乗務員の労働条件のうち、運行先は、行き先によっては原告主張のように実質収入に格差が生じ、担当車輛如何は精神的満足感にかかわり、いずれも乗務員にとっては、軽視しえないものであった。なお、当時の原告の乗務員には、保障給制度があり、時間外手当五〇時間分が支払われていたが、右主島の嘱託雇用交渉においては、バス労組の方からは、主島について同様とする旨の要求が出されたり、確認された形跡はなく、他方、原告はこの点について嘱託にも同制度をそのまま適用するつもりはなかった。かくして、主島の嘱託の残余の労働条件である、行き先、担当車輛、保障給、一時金の問題、その他の附随問題である健康診断の時期方法、組合所属問題等については引続きの協議案件として残されたままとなり、交渉が継続されることとなった。
(ハ) そして、右交渉継続中の昭和五六年八月二六日、原告は、主島に対し、バス労組書記長太田立会のもとに一カ月後の同年九月二五日をもって定年退職になる旨の正式告知をなした。
(ニ) 他方、右交渉継続中の、同年九月一四日ころ、バス労組は組合員に対し連絡用に使用されていた掲示板に、「主島氏の嘱託採用について」と題して、「(1)年功七年、(2)労働条件については現在交渉中、その他は早急に話合いを進める。担当車問題、一時金問題、身体検査、その他」なる記載内容の掲示をだして、組合員に対し状況報告をなした。なお、後記主島のバス労組脱退後は勿論、同人の定年到来迄の間、右組合員に対する連絡用の掲示板には、主島の嘱託雇用問題について、何らかの掲示がなされた形跡はない。
(2)(イ) ところが、主島は、昭和五六年九月一九日、二〇日両日の上諏訪方面への運行に、松本と同乗し、その際同人より、参加人組合は六〇才定年を要求して行くからバス労組を脱退して同組合に移るよう、勧奨説得され、これに応じて、同月二一日早朝、突如、バス労組に対し脱退届を提出して同組合を脱退し、同日、参加人組合に加入した。
(ロ) 参加人組合の松本委員長は、同日、それを受けて、早速、原告に対し、右主島の参加人組合への加入を通知するとともに「停年延長の件」として「停年を六〇歳まで延長すること」を要求する旨記載した「仮通知、要求書」と題する書面を提出した。しかし、その際、松本は右書面及び口頭によっても、主島の嘱託雇用問題については、全くふれるところがなかった。
(ハ) バス労組は、前同二一日早速太田書記長が、主島に対しバス労組を脱退し参加人組合に加入することを翻意するよう説得に当ったが、主島はこれを拒絶し、かえって「参加人組合によって六〇歳定年制をかちとってもらう」旨の発言をなすほどであり、ついで同月二五日、バス労組の長田執行委員長も、主島に対し、右太田同様脱退を考え直すよう説得したが、翻意させることはできなかった。
(ニ) そこで、同日、バス労組は、主島の嘱託雇用の件は今後は本件協定により参加人組合が更めてなすべきものと考え、その趣旨で、原告に対し、「主島の嘱託雇用の件についてこれまで協議してきたことは白紙に戻す」旨の通告をなした。
(3)(イ) 昭和五六年九月二五日、平井所長は主島に対し本日が同人の定年退職日であることを通告すると共に、身の回りの整理をするよう述べ、また退職金等は原告会社の給料日である同月二八日に支給する旨伝えた。これに対し、主島は、定年延長もしくは嘱託の形式を問わず継続雇用の希望を持っていたところ、翌二六日に大阪地連組織部長佐伯(以下「佐伯」という)に相談をなし、同人からは身の回りの整理の必要はない旨教示を受けたものの、その後松本からは、むしろ、「嘱託雇用の件については組合として対処するので、退職金受領時には会社に対しても何も話をしなくてもよい」旨口止めの指示を受けた。そこで、主島は、前同月二六日以降、会社に対し、何らの異議をのべたり、嘱託雇用の件につき言及するところなく、この間、出勤せず、同月二八日には、原告の通知に応じて、退職金として金二五七万二五〇〇円、退職功労金として金一〇万円および九月分給与を異議、留保なく受領し、さらに、同月二九日には、同様に異議なく、原告より厚生年金証書および離職票を受領し、主島は、原告に対し、健康保険証を返還したが、ロッカーの整理、原告から貸与されていた社章(バッジ)付の制服および制帽の返還は、しないままであった。
(ロ) 他方、参加人組合では、同月二九日迄の間、松本は、主島の嘱託雇用の件について、原告に対して、何らの申し入れをなすこともなく、また、バス労組に対しても、問い合せをなすこともなく、また、原告も、同月二一日のバス労組からの白紙還元通知受領以後、同年一〇月三日迄の間、参加人組合及び主島に対し、嘱託雇用の件につき何らの申し出もなしていない。
(4)(イ) バス労組太田、同長田は、前記の主島の参加人組合への移動の翻意を説得した際、いずれも、原告との間で本件嘱託雇用の協定が殆んど成立しているかのようにのべて説得し、前同九月二一日午前、太田は松本の勧誘と主島の脱退届に立腹して佐伯に電話をかけ、松本の行為をなじり、そのなかで、本件嘱託雇用について、協定にしていないが二三の問題を残し問題点が解決に向いつつあった旨告げ、同一〇月一日付バス労組機関紙は、要旨、本件嘱託雇用の件がバス労組の力で仮集約でき、主島本人にも非常に喜んでもらい一段落した矢先、同人が突然脱退し、六〇才定年延長の要求運動へと無謀とも思われる方向へ決意した旨記載して、主島の参加人組合への移動を非難している。
(ロ) 同月二五日頃、佐伯は、同二一日の太田の前記の電話に関連して、平井に対し、本件嘱託雇用の件につき問い合わせの電話をなし、ついで、主島の電話を受けて、身辺整理につき、前記の指示を与え、同月二九日大阪地連バス部会では、本件嘱託雇用の件につき、太田からの報告として勤続七年の乗務員賃金扱い、保障給五〇時間で仮調印された旨報告をなした。
(5)(イ) 同年一〇月三日、原告平井所長は、参加人組合委員長、松本と、前記佐伯と会談をもち、定年延長の要求と共に主島の嘱託雇用を太田よりきいている前項合意事項の外は従前どおりの条件で、バス労組との間でのまとまった右約束を履行することを求められたが、右太田のいう仮集約、仮調印等、バス労組間での約束成立を否定すると共に、交渉継続の点については、前記のとおり異議なく退職手続を完了してしまっている限り、主島に嘱託雇用の意思ないものといえるから、「覆水盆にかえらず」として、拒絶し、右会談は物別れとなり、参加人組合は同月二六日本件救済命令申立に及んだ。
(ロ) 他方、参加人組合は、同年一〇月一二日付機関紙において、前記の一〇月三日の原告平井所長との会談後の主島の嘱託問題の状況論評として、「どちらが本当なのか」の見出しのもとに、平井は「嘱託扱いする話はついていなかった」とバス労組の「七年・五〇時間保障」合意(口頭でも同じ)の報告が本当なのか、会社とバス労組は全労働者に対し明確にする責任が出て来たと思う旨のべている。
以上のとおり認められ、右認定に副わない(証拠略)は、就中、バス労組が、掲示板記載において、また、太田、長田が主島に対する説得の際において、いずれも本件嘱託雇用条件について、賃金は動続七年の乗務員賃金額、五〇時間保障給、その他の労働条件(行き先、担当車種、一時金等)は従前どおりと決まった趣旨の告知をしたとする(証拠略)は、それ自体具体性に欠け、さらに(証拠略)に照らし、また、佐伯が昭和五六年九月二五日頃平井に電話で話した内容に関する(証拠略)は、(証拠略)、右電話直後に、佐伯が、同証言にいう内容を前提とした具体的行動を関係者にとったことが証拠上認めるに足りない点等、弁論の全趣旨に照らし、いずれも、俄かに採用しがたい。
そして、以上の認定をこえて、昭和五六年九月二五日の佐伯の平井に対する電話内容が補助参加人主張のような本件協定に基づく主島の嘱託雇用に関する協議の要求であり、同人がその権限を有した点及び、これに対する平井の応答が右補助参加人主張のような内容であったことを認めるに足る証拠はない。
3 そこで、前1、2項認定の事実関係に基づき、主島の本件嘱託雇用に関し、いかなる内容、限度の合意が成立したかにつき検討する。
(一) この点につき、被告は、勤続七年の乗務員賃金の了承がある限り、行き先、一時金及び健康診断時期等につき協議が未了であっても、嘱託雇用契約の締結に支障をきたすものではないと解されること等から、原告、バス労組間で、主島を嘱託雇用することの基本的な合意が成立していた旨、また、補助参加人は、右当事者間で勤続七年の乗務員賃金、五〇時間保障という主要な労働条件につき合意が成立していたかぎり、残余の労働条件は従来の慣行により、主島の参加人組合加入後にでも、参加人組合、原告間で決定すれば足りることであったから、原告、バス労組間には、主島の脱退前に同人を嘱託雇用することの実質的合意が成立していた旨、夫々主張する。ところで右主張にいう基本的合意、もしくは実質的合意の法律的意味が不明確であるところ、嘱託雇用契約の成立自体に影響を及ぼすことがないような附随的、細目的事項の合意未了の部分を残して、要素たる労働条件につき完全合意に達し、または、右要素の一部については従来の慣行により定めうべき基準が存するため右完全合意に達したと見なしうる状態の嘱託契約の予約もしくは本契約をいうものと解せないでもないので、右観点から、前記1、2の認定事実関係及び判示に基づき、本件嘱託雇用に関する合意の成否状況についてみる。
(二) ところで、一般に、本件嘱託契約をも含め、労働契約において、提供さるべき労働の就労の場所、労務の種類、態様、就労時間、賃金(基本給、一時金とも)が契約の要素というべく、予約、或いは本契約を問わず、右要素につき確定的内容の合意がなされることが、契約成立のための不可欠の要件であると解される。本件において、バス乗務員にとって、配車担当車輛、行き先は、乗務員の物心両面にかかわる軽視しえない労働条件であり、原告が、主島の嘱託雇用条件において、吹田老人ホーム送迎専従、勤続一年の乗務員賃金を提案した理由は、右行き先が、定年後の老令者の減退労働能力にみあい、右賃金は右行き先の労働量にみあっているとの考え方に基づき、保障給について、嘱託乗務員については、定年前の通常の乗務員と同じ時間給を保障するつもりでいなかったこと、本件協定による嘱託として、主島が最初の該当者であったことは前2項(二)認定のとおりであり、さらに、右嘱託乗務員の労働能力評価、行き先、賃金とは相関関係あるもの、及び嘱託の保障給のあり方、に関する原告の前記考え方によれば、バス労組、原告間の今後の交渉次第によっては、勤続七年乗務員賃金を動かさないで、行き先、担当車輛の詰めをなせば、右両者が定年前と同様に合意されることは、およそ無理であり、そのことは容易に予測しえたことであることが推認でき、また、前1、2項の事実関係及び、(証拠略)によれば、バス労組の役員である長田、及び太田らは、主島が嘱託雇用につき尽力させておきながら、突如参加人組合に移り、松本に従って、嘱託と異なる六〇才定年制を要求していこうとしたことに対し、これを豹変的な不信義とみて、いたく立腹のあまり、また、バス労組からの脱退者の続出防止のためにも、バス労組の力量を誇大化しがちな傾向にあったことは容易に推認しうるところであり、他方、嘱託については勿論、一般乗務員についても、基本給額が定まれば、これを前提として、その余の労働条件内容が合意をまたずに当然に定まるべき労使慣行が、原告の労使間に存したことについては、全証拠によるもこれを認めるに足りない。
以上のところに照らせば、前2(二)(1)(ロ)の勤続七年の乗務員賃金の了承及び、これに加えて同(二)(4)の太田の佐伯に対するぐちっぽい言辞、バス労組の同五六年一〇月一日付機関紙の記載内容を、総合しても、主島の嘱託雇用条件について、バス労組、原告間において、同人のバス労組脱退時である同年九月二一日当時は勿論、その後太田らが脱退の撤回方の説得をなしつつ迎えた主島の定年である同月二五日当時においても、賃金について勤続七年の乗務員給とする旨の前記の相互の了承すらも、その他の労働条件とのみあいにおけるひとまずの相互の了承に止まり、これをこえて、その余の嘱託雇用の労働条件のうち、行き先、担当車輛、保障給、就労時間のいずれかについて、もしくは、全部についてそれを定年前の従前どおりとする旨の明示、または、黙示の口頭による合意ないしは相互の了承の意思表示が、かわされたことは、到底推認することができない。そして、本件全証拠によるも、いずれの時期においても右賃金の他の嘱託雇用契約の右要素たる労働条件についての右合意ないし相互了承ができたことを認めるに足りない。
(三) そうだとすると、主島のバス労組脱退の昭和五六年九月二一日迄に、バス労組原告間で存した合意なるものは主島の嘱託雇用案件について、その条件交渉を積極的、前向きになして行こうとすることについて存しただけであって、この合意に基づき交渉が進められて来たに過ぎず、右合意は嘱託雇用すること自体に関する合意とみられないことは明らかであって、他に、前示のとおり、賃金以外の嘱託雇用契約の残余の労働条件については、当然にその内容が定まるべき労使慣行が認められず、また、全証拠によっても、右残余の労働条件について、バス労組、または原告の、いずれかが、相手方の主張をすべて無条件に承諾すべき特段の事情も認められないのであるから、被告認定、主張のように、右賃金の合意があり、それまで相当期間、右当事者間で前向きに交渉して来た経過があっても、その他の嘱託雇用契約の労働条件の要素である、行き先、担当車種、一時金について合意未了のままであっても、嘱託雇用契約締結に支障がない、とは到底いえないのである。したがって、右勤続七年の乗務員賃金の相互了承ができ、その余の嘱託雇用契約の労働条件について合意未了のままでは、前記の交渉の場を前向きにもつ合意があっても、なお、被告主張のような、主島を嘱託雇用することの基本的合意、もしくは補助参加人主張のような、右嘱託雇用の実質的(合意)が成立したということは到底できず、換言すれば、前同九月二一日、さらには同月二五日当時においては、バス労組、原告間の主島の嘱託雇用に関する契約締結の継続交渉のなかでは、嘱託雇用契約自体は、その成立のための不可欠事項である、前記勤続七年の乗務員基本給以外の労働条件についての合意未了のため、予約、本契約、明示、黙示の、いずれを問わず、いかなる意味においても合意(契約)に達しないままの段階に止まっていたという外ない。そして、同二五日以降においても右嘱託雇用契約の予約または本契約が合意されたことを認めるに足る証拠もない。
よって、この点の被告、補助参加人双方の主張はいずれも理由がない。
4 最後に不当労働行為の成否についてみる。
(一) まず、本件協定は、両旧組合と原告との間に個別に締結された協定であって、右両旧組合は、昭和五六年五月九日解散して消滅し、同日、新たにバス労組と参加人組合が結成されたもので、右協定が、バス労組および参加人組合に、それぞれ当然にひきつがれ、右バス労組及び参加人組合の組合員にも、その効力が及ぶと解しうるか、さらに、参加人組合が昭和五六年六月頃、組合員が松本一人となったため、なお、右同様の効力が及んでいるか、についてはいずれも疑問がないではないが、本訴当事者間においては、右協定が、主島の定年到来時において、バス労組、参加人組合、同組合員主島、原告間において、現に効力を及ぼしているという法律効果については、一応争いがないもののようであるので、右の疑問の点はひとまずおいて、右法律効果を前提として以下検討する。
(二) 被告は、原告が、バス労組との間で、主島を嘱託雇用することを一旦了承しながら、同人が参加人組合に加入すると同人が嘱託雇用意思を有したに拘らず、同人を嘱託として雇用しなかったことが、労組法七条一号、三号に該当する旨主張し、補助参加人は、原告は、本件協定により嘱託雇用希望者をできうる限り嘱託雇用すべき義務があり、しかも、原告、バス労組間で、主島を嘱託雇用すべき実質的合意が成立していたにも拘らず、主島の参加人組合への加入を機に、右実質的合意を破棄して嘱託として扱わないことが、仮に然らずとするも右加入後の昭和五六年九月二五日の佐伯の嘱託雇用交渉継続の申出に対し、誠実に対応しないことが同年一〇月三日の松本らの右同様の申出を拒絶し誠実に対応しないことが、夫々労組法一号、三号に該当する旨主張するところ、被告の主張の「雇用しない」ことの意味が明確でないが、前記被告主張の本契約の意味での基本的合意に基づき、主島を嘱託労働者として取扱わない意味、ないしは、予約的な意味での右基本的合意に基づき、もしくは、バス労組との間と同様、参加人組合と更めて交渉して主島を嘱託として雇用する契約を締結しようとせずに、主島が退職手続を履践するにまかせた不作為及びこれにより嘱託雇用契約未締結状態を生ぜしめ、結局雇用するに至らなかったことの意味をも含むもの、と解せないでもないので、以下、右観点より不当労働行為の成否をみる。
(三)(1) 労組法七条一号の「不利益な取扱い」とは、使用者が、本来ならば労働者に与えられるべき正当な待遇を与えないことをいい、同法三(ママ)号の「支配、介入」とは、使用者が組合の結成、運営に介入し、または影響を与えるべきことをいうところ、本件において、主島のバス労組脱退以前に、原告、バス労組間に、主島を嘱託雇用することの何らかの予約、本契約が未だ合意成立するに至っておらず、その後もそのままの状態で推移したことは、前示のとおりであるから、同月二五日の主島の定年到来以後、原告は、嘱託雇用契約が成立していないのに拘らず、この契約に基く嘱託雇用者として主島を扱うことは、法律上不可能であって、右原告が取扱わないことに何らの不当性もなく不当労働行為意思を問うまでもなく、客観的に不当労働行為に当らない。また、そもそも何らの契約も成立していないのであるから、右取扱わないことが、被告主張の基本的合意や補助参加人主張の実質的合意を破棄するものといえないことも明らかであって、右取扱わない意味で原告の不当労働行為を主張する被告、補助参加人の主張は前提を欠き、いずれも理由がない。
(2) つぎに、原告が主島の参加人組合加入後、同人の定年の日である昭和五六年九月二五日に、バス労組役員太田より本件協定に基づく主島の嘱託雇用に関するそれまでの協議は白紙に戻す旨通告を受けた後は、主島は勿論参加人組合代表者松本に対しても、自ら、主島の嘱託雇用の件の交渉を働きかけず不作為に終始し、この間片や、主島の定年退職手続を進めて来たことは前2項(二)認定のとおりであって、この不作為及び、これに伴う主島の嘱託雇用契約が未締結のままに放置され結局原告が主島を嘱託として雇用しなかったことが、不当労働行為に該当するかにつきみる。
まず、前記の本件協定の成立経緯、趣旨、文言によれば、嘱託雇用希望者があるときは、その属する組合が同人にかわって、原告との間で労働条件を協議し、同意ができた場合にのみ、一年間嘱託雇用をなすことが認められるに止まり、右協定に基づき原告が嘱託雇用希望者をできる限り雇用すべき義務を負うものと解すべき根拠は見出し難く、全証拠によっても、右義務を負うべき事情は認められず、むしろ、右協定の趣旨、文言及び前掲平井の証言部分によれば、本件協定による協議は、まず、嘱託希望者の所属組合の方からの申し出があって、始められるべきが原則と解すべきものと認められる。そうだとすると、バス労組は、主島が脱退し、参加人組合に加入した後は、主島の嘱託雇用についての本件協定に基づく交渉権を失い、代って、参加人組合が、右交渉権をもつこととなったというべきであるから、まず、前記の昭和五六年九月二五日の太田の原告に対する白紙還元通告及びこれを異議なく受領した原告の行為は何らの不当性をもつものではない。
つぎに、同年五月二一日の主島の参加人組合加入後の原告の不作為が一因となって、ために以後も嘱託雇用しないままの状態となった点についてみる。
前1項認定事実と(証拠略)によれば、参加人組合は、もともと労使協調路線を行くバス労組とも敵対し、使用者原告に対しても、労働者の権利拡大のため常に闘争的で、不当労働行為摘発についても積極的で、きびしく対応して来たことが認められ、さらに、松本は、参加人組合代表者として、主島の加入通知と同時に、同人の嘱託雇用交渉については、併行要求が可能であるに拘らず、六〇歳定年延長のみを要求事項とした書面による交渉要求をなしたのみで、主島の加入後、同人の定年が迫っているにも拘らず、翌一〇月三日の原告間交渉の場までの間、終始、原告に対し、本件協定に基づく主島の嘱託交渉の要求は勿論、申し入れ等これについて何らの言及をせず、他方、主島に対しては、定年到来による退職金受領等退職手続に応ぜしめながら、嘱託の件は参加人組合が交渉をなすからとの理由で個人的に言及することを口止めして来たところ、主島は、異議なく退職金に止まらず、離職票の受領、健康保険の返還までしてしまい定年後は出社することもなかったことは前記のとおりである。
なお、(証拠略)中右定年延長要求のなかに、本件協定に基づく主島の嘱託雇用の協議要求も含まれるとする部分は到底採用できない。また、原告が主島に対し、定年到来と共に退職手続をとらしめたことは、嘱託雇用と矛盾するものではなく、なお、嘱託雇用交渉をなしうるものであるから、特に異とするに足りない。
以上の事実関係及び、前記本件協定に基づく協議の原則的始め方、昭和五六年九月二五日の佐伯の平井に対する架電が前認定の程度のものであったこと、主島の参加人組合加入後の、同人及び同組合代表者松本の行動のもとにおける労使間の信義則に照らして考えれば、主島の参加人組合加入後の参加人組合の要求は嘱託雇用と矛盾するものと見える、定年延長であったのであり、また、主島の定年到来後の態度も継続雇用を望むものか疑わしいものであったのであるから、原告において、参加人組合、若くは本件協定に基づく交渉権限者である同組合を抜いて、主島に対し、それまでのバス労組間でなして来た主島の嘱託雇用に関する協議を前提として、その継続を、若くは参加人組合の右要求事項と異なる嘱託雇用の協議を新たに申し出でることは、かえって、逆に参加人組合より、その自立性ないし独立性に対する侵害、ないしは支配介入と評価され、非難されかねない虞がないとはいえないのであって、右のような行動、要求をとっている参加人組合に対し、あえて、原告の方から自発的に、まず主島の嘱託雇用に関する協議の継続ないし開始を申し出ることが、右信義則上なすべき行為とは到底いえず、むしろ、参加人組合代表者松本の方から、主島の加入と共にさらに、その後も積極的、自発的に、本件協定に基づく同人の嘱託雇用に関する協議交渉の申し出でをなすべきものであったというべきである。
そして、また、主島の参加人組合加入と共に、同組合と原告との間で、本件協定に基づく嘱託雇用協議をなしたとしても、前記原告と参加人組合とのきびしい労使関係に照らせば、主島の定年到来迄の間ないしは、それ以後の短期間内に、嘱託雇用契約が締結しうるところまで、順調に協議が進んだかは疑わしく、右締結の蓋然性を認める事情は証拠上認められない。
以上のところを総合すれば、原告が、主島の参加人組合加入の同年九月二一日以降同年一〇月三日までの間、主島の嘱託雇用の件に関し、参加人組合に対し何らの働きかけもしなかった不作為は、何ら不当なものとはいえず、さらには、この不作為を結果的一因とする主島の嘱託雇用契約の未締結状態は、右同一〇月三日までの間に限り、むしろ参加人組合に主たる原因があるというべく、原告が不当に自ら作出したものとは到底いえず、主島にとって、労組法七条一号の不利益取扱い、参加人組合にとって、同法三号の支配介入、のいずれにも該当しないというべきである。なお、同年一〇月三日における原告の主島の嘱託雇用に対する拒否的態度も、それ自体の当否の評価は格別、右判示の妨げとなるものではない。
(3) 補助参加人は同年九月二五日の佐伯からの、同年一〇月三日の、松本らの、各平井に対する主島の嘱託雇用の協議申し出でに対し、原告がいずれも誠実に対応しなかったことが不当労働行為に該当すると主張する。しかしながら、右主張によれば右両日の平井による原告の対応事実は、いずれも、誠実団交もしくは協議拒否の類型的行為に属するものであって、(証拠略)及び別紙命令書により明らかなとおり、もともと、本件救済命令申立において、救済対象たる不当労働行為として主張されておらず、本件命令も認定対象としていないものであって、しかも、右認定された不当労働行為である、主島を本件協定に基づく嘱託として雇用ないし取扱いをしない事実とは、不当労働行為としての類型及び基本的事実関係を異にするものである。したがって、仮に、補助参加人主張の右両日の原告の行為の存在が認められるとしても(これに対する救済は、誠実団交ないし誠実協議命令もしくは、原告主張理由による右団交ないし協議の拒否禁止が命ぜられるべきこととなるものであろう)、本件訴訟の対象である本件命令1項を基礎づけるべき、被告認定の前記不当労働行為の全部、または一部に含まれる性質のものではなく、結局、本件命令1項の適法性を根拠ずける理由主張に該当しないというべきであるから、主張自体理由がない。
5 以上のとおりであるから、本件主文1項を基礎付ける被告及び参加人主張の不当労働行為はいずれも認められず、右いずれの主張も理由がなく、本件命令は、主文1項を基礎付ける不当労働行為の成否について、事実を誤認し、ひいては法律適用を誤まった違法があるというべく、結局、請求原因2は理由があるというべきである。
四 結論
以上の次第で、原告の本件訴えのうち、本件命令1項中「原告は、補助参加人組合員主島虎之助を昭和五六年九月二六日から同五七年九月二五日までの間、嘱託として取り扱い、その賃金は勤続年数七年の乗務員の基本給の額としなければならない」旨の命令部分の取消しを求める訴え部分は、不適法であるから却下し、本件命令1項中、「原告は補助参加人組合員主島虎之助に対し、同五六年九月二六日から同五七年九月二五日までの間、同人が就労するまでの間に同人が受けるはずであった賃金相当額及びこれに年率五分を乗じた額を支払わなければならない」旨の命令部分の取消しを求める本件請求は理由があるから、これを認容し、民訴法八九条、九四条、九二条但書を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉本昭一 裁判官千徳輝夫、同小久保孝雄は、職務代行期間終了のため署名押印できない。裁判長裁判官 杉本昭一)
別紙 命令書
申立人
全自交日本周遊観光バス労働組合
代表者執行委員長 松本豊治
被申立人 日本周遊観光バス株式会社
代表者代表取締役 杉本敬一
上記当事者間の昭和五六年(不)第七一号事件について、当委員会は、昭和五七年八月二五日の公益委員会議において合議を行った結果、次のとおり命令する。
主文
1 被申立人は、申立人組合員主島虎之助を、昭和五六年九月二六日から昭和五七年九月二五日までの間、嘱託として取り扱い、その賃金は勤続年数七年の乗務員の基本給の額とするとともに、昭和五六年九月二六日から同人が就労するまでの間、同人が受けるはずであった賃金相当額及びこれに年率五分を乗じた額を支払わなければならない。
2 申立人のその他の申立ては、これを棄却する。
理由
第1 認定した事実
1 当事者等
(1) 被申立人日本周遊観光バス株式会社(以下「会社」という)は、肩書地(略)に本社を、摂津市に営業所(以下「大阪営業所」という)を置き、一般道路旅客運送事業(貸切観光バス業)を営む会社であり、その従業員は本件審問終結時約八〇名である。
(2) 申立人全自交日本周遊観光バス労働組合(以下「組合」という)は、会社に働く従業員で組織する労働組合であり、その組合員は本件審問終結時七名である。なお、会社には組合のほかに日本周遊観光バス労働組合(以下「別組合」という)がある。
2 組合結成に至るまでの経過
(1) 昭和五五年春闘において、当時会社内に存在していた全自交日本周遊観光バス労働組合(以下「旧全自交組合」という)と交通労連日本周遊観光バス労働組合(以下「旧同盟組合」という。また、旧全自交組合と旧同盟組合を併せて「両旧組合」という)は、それぞれ会社に対し定年の延長(当時会社の定年は満五七歳)を要求していた。
(2) 五五年八月三〇日、両旧組合は会社とそれぞれ個別に、定年の延長について次のとおりの協定(以下「55・8・30協定」という)を締結した。
<1> 定年を満五八歳とする。ただし、定年後健康で更に会社に就職希望する者については、会社は労働条件、賃金体系、その他の事項を話し合い、双方が同意できた場合には一年間嘱託として雇用する。
<2> 前記の件については、組合と円満協議する。
(3) 一二月二五日、旧全自交組合の執行委員長松本豊治はその職を辞任する旨を同組合の執行委員会に申し出、同月二七日、この申し出は承認された。また、同日、後任の執行委員長が選出された。
(4) 五六年一月頃、両旧組合及び会社は合同で労使協議会を開催し、大阪営業所の社屋新築の設計に伴う組合事務所の位置・面積の検討をしたが、その際に両旧組合は会社に対し、組合事務所は両旧組合で一つとし、その面積は会社の提示案より広いものとすることを要求し、会社はこれを了承した。
(5) 二月二五日及び三月九日、旧全自交組合は組合員集会を開催し、従来から同組合内で論議されてきた両旧組合の組織統一について討議を行ったが、その場で松本豊治(以下「松本」という)は、この組織統一には反対である旨の発言をした。
(6) 五月九日、両旧組合は個別に組合大会を開催し、それぞれの組合の解散を決議し、同日、その組合大会終了後、松本、沢口正子及び浜崎幸子の三名を除いた両旧組合の組合員全員は、別組合を結成した。
また、同日、松本、沢口正子及び浜崎幸子の三名は組合を結成し、執行委員長に松本を選出し、翌一〇日、松本は会社の取締役大阪営業所長平井正之(以下「平井所長」という)に対し、口頭で五月九日に組合を結成したことを通告した。
(7) 同月中頃、組合は会社に対し、<1>組合事務所及び組合掲示板の設置<2>慣習・慣行の継続<3>組合活動の自由の保障<4>組合間差別の禁止<5>安全運行のための車両整備及び従業員教育の五項目からなる要求書を提出した。
(8) 同月二〇日、組合と会社はこの要求書について団体交渉を行い、出席した平井所長は松本に対し、まず、「組合を結成したと言うのならばその証拠を持ってきなさい。口頭通告のみでは組合として認められない」旨述べ、続いて、組合要求の<2>ないし<5>についてはこれを認める旨の回答をしたが、組合要求の<1>については「別組合の事務所の一部を使えるよう別組合に話をしておくので、別組合の事務所を使ってくれ」との旨回答した。
(9) 六月中頃、松本を除いた組合員は組合を脱退したので、組合員は松本のみとなった。
3 主島虎之助の嘱託雇用について
(1) 別組合と会社との協議の経過
ア 六月二三日、当時別組合員であった主島虎之助(以下「主島」という)は、会社の乗務員中最年長の五七歳であり、55・8・30協定締結以後初めての嘱託雇用該当者となるので、別組合と会社とは同人の定年後の嘱託雇用について第一回協議を行った。この場で別組合は会社に対し、嘱託雇用を定年延長の足掛りとする意図の下に、主島の嘱託雇用条件については、賃金、担当車両、行き先等すべて同人の退職時と同一とすることを要求した。会社はそれに対して、乗務は吹田市から委託を受けている老人ホームへの送迎の専従とし、賃金はそれに見合った勤続年数一年未満の乗務員の賃金を適用するとの回答をした。
なお、会社の乗務員の賃金は基本給、保障給及び諸手当で構成されており、基本給は勤続年数の増加に従いその額が上昇する年功賃金であり、また、保障給は時間外手当五〇時間分でありすべての乗務員に支払われていた。
イ 同日以後、別組合と会社はこの件について数回の協議を重ねたが、その中で別組合は、当初の要求が会社に受け入れられ難いものと判断し、賃金については、当時会社の乗務員の平均勤続年数が七年であったので、勤続年数七年の乗務員の賃金とするよう提案し、会社はこの提案を了承した。なお、この協議の場で、前記の保障給が嘱託雇用者にも支払われるとの確認はされなかった。しかし、行き先、一時金の支給の有無及び健康診断の受診時期等については、協議の途上で後述のとおり主島が別組合を脱退したので、それ以降別組合と会社との間で協議されなかった。
(2) 主島の別組合脱退以降の経過
ア 九月一九日から翌二〇日にかけて、松本と主島は上諏訪方面への運行に同乗勤務したが、その際に、松本は主島に対して「組合は六〇歳定年を要求していく」旨述べた。
イ 同月二一日、主島は別組合を脱退し、同日、組合に加入したので、組合は会社に対し、同人が組合に加入したことを通知するとともに「定年を六〇歳まで延長すること」との要求書を提出した。
ウ 同日、別組合の書記長太田孝志は、主島の脱退届を見て、同人に対し「嘱託雇用については会社との間で協定ができているので、脱退するのを考え直してもらいたい」旨説得し、また、同月二五日には別組合の委員長長田増二は主島に対し、同様に脱退を考え直すよう説得したが、同人を翻意させることはできなかったので、同日、別組合は会社に対し、「主島の嘱託雇用の件についてこれまで協議してきたことは白紙に戻す」との通告をした。
エ 同月二五日、平井所長は主島に対し、本日が同人の定年退職日であることを通告するとともに「身の回りを整理するよう」との旨述べた。
オ 同月二八日、主島は大阪営業所に赴き退職金と退職功労金を受け取り、翌二九日には同じく大阪営業所で厚生年金証書を受け取った。しかし、主島は松本から「嘱託雇用の件については組合として対処するので、会社に対し何も話をしなくてもよい」旨指示されていたので、この時に主島は会社に対して、嘱託雇用の件については何も述べなかった。
第2 判断
1 主島の嘱託雇用について
(1) 当事者の主張要旨
ア 組合は、次のとおり主張する。
五六年九月中頃、別組合と会社は、主島の嘱託雇用についてその条件を<1>勤続年数七年の乗務員の基本給<2>時間外手当五〇時間分の保障給<3>賃金についての他の条件は他の乗務員と同一とすることで合意したので、別組合と会社とは同人を嘱託雇用することを確認した。ところが、九月二一日に主島が別組合を脱退し組合に加入するや、会社はこの確認をほごにして同人の定年退職後同人を嘱託として雇用しなかった。したがって、このことは組合を嫌った故の主島に対する不利益取扱いであり、また、組合の破壊を企図した不当労働行為であるから、同人を前記の合意した条件で嘱託雇用しなければならない。
イ これに対して、会社は、次のとおり主張する。
主島の嘱託雇用については、五六年六月頃、別組合から会社に対し、55・8・30協定に基づいて協議をしたい旨の提案があったので、その条件について九月中頃まで会社と別組合は協議を続けていたが、その途上で賃金面においては別組合から勤続年数七年の乗務員の賃金とするようにとの提案があったものの、会社はこの提案に対し最終的な回答はしていなかったし、他の条件についても合意に達したものはなく、ましてや会社と別組合との間で主島を嘱託雇用する旨の確認はしていない。そして、九月二五日に別組合から、主島が別組合を脱退したのでこれまで協議してきたことは一切白紙に戻したいとの通告を受けた。また、九月二一日に組合から主島が組合に加入したとの通知を受けたが、同人の定年退職日である同月二五日に至るまで、同人からも組合からも同人の嘱託雇用の件について何ら申入れはなく、更に、同人の定年退職日に同人に対し本日で定年退職である旨を通告した際にも、また、その翌々日に同人に対し退職金を支給した際にも、同人からは何の申し出もないことから会社は、同人には嘱託雇用契約を締結する意思はないと考えていたのである。したがって、会社が同人を嘱託雇用しなかったからといって何ら不当労働行為には当たらない。
よって、以下判断する。
(2) 不当労働行為の成否
ア 会社は、主島の嘱託雇用について、別組合の勤続年数七年の乗務員の賃金とするようにとの提案に対して、最終的な回答はしていなかったと主張するが、前記認定第13(1)イのとおり、別組合のこの提案に会社が了承していたことが認められるので、この会社の主張は失当である。また、<1>賃金については合意があったこと<2>行き先、一時金の支給の有無及び健康診断の受診時期等については協議が未了であっても、嘱託雇用契約の締結に支障をきたすものではないと解されること<3>別組合と会社とは主島の嘱託雇用の件について協議を重ねてきたのであるから、会社は同人を嘱託雇用することに特段の異議はなかったものと解されることを併せ考えると、別組合と会社との間で、主島を嘱託として雇用することにつき基本的な合意があったと認めるのが相当である。
イ 次に、主島からも組合からも嘱託雇用の件については会社に対して何らの申入れもないことから、会社は同人には嘱託雇用契約を締結する意思はないと考えたとの会社の主張について検討する。
会社は別組合からこれまで協議してきたことは白紙に戻すとの通告を受けたが、この通告は主島が別組合を脱退したためになされたものであり、依然として同人が嘱託雇用を希望していることには変わりはないと考えられる。また、主島の組合加入後改めて同人も組合も会社に対し同人の嘱託雇用の件について申し入れていないが、会社もこの件について改めて同人にも組合にも問い合わせをしなかったのだから、単に申入れがなかったということを理由に会社が、同人には嘱託雇用契約を締結する意思はないと考えたのならば速断に過ぎ、この会社の主張は失当である。
ウ 以上のことから、会社は主島を嘱託雇用することをいったん了承していたと認められるにもかかわらず、同人が組合に加入すると同人を嘱託として雇用しなかったのであって、このことは、同人が組合に加入したことを理由として同人を不利益に扱ったものであり、また、組合の弱体化を企図したものであると判断され、労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為である。
エ なお、嘱託雇用の条件として、別組合と会社が合意した「勤続年数七年の乗務員の賃金」とは、その基本給を指していると解するのが相当である。組合は、時間外手当五〇時間分が保障給として支払われること及び諸手当は他の乗務員と同一であることも会社は了承していたと主張するが、この事実は認められないし、また、嘱託雇用の期間は55・8・30協定によれば一年間であるので、主文のとおり命ずるのが相当である。
オ また、組合は陳謝文の手交及び掲示を求めるが、主文の救済によって十分救済の実を果たし得ると考えられるので、その必要を認めない。
以上の事実認定及び判断に基づき、当委員会は、労働組合法第二七条及び労働委員会規則第四三条により、主文のとおり命令する。
昭和五七年九月一四日
大阪府地方労働委員会
会長 後岡弘